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糸魚川産  翡 翠


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◆ 糸魚川の翡翠 ◆

糸魚川産の翡翠は日本で唯一の、そして世界でも有数の「宝石質翡翠」として、
その質の高さが評価されています。

糸魚川産高品質翡翠勾玉

糸魚川市の翡翠の原産地は、日本海に注ぐ姫川上流の小滝地区と、青海川上流の橋立地区にあります。一部エリアは天然記念物に指定されています。翡翠はこれらの川の河原や、河口付近の海岸で発見されます。

同じく品質の高いことで有名なミャンマー産の翡翠原石が風化によって表面に褐色の皮殻を持つのに対し、糸魚川の、特に海で見つかる翡翠は、原石のままで十分に美しいのも特徴の一つです。

また、大規模な商業的採掘が行われているミャンマーに対し、糸魚川の翡翠はほぼ自然の状態で保護されているため、市場に出回っている量が少なく、その希少性も大きな価値となっています。




◆ 翡翠とは ◆

糸魚川産翡翠原石1 私たちが「翡翠」と呼んでいる石は、鉱物学的には
「ひすい輝石岩」と言います。

鉱物学の文献の多くに「翡翠とはひすい輝石が集まってできた石である」と書かれています。
しかし、糸魚川産翡翠についての最近の研究で、翡翠の緑色の部分はオンファス輝石という鉱物であることが分かってきました。

他の産地の翡翠についての研究はこれからですが
「翡翠とはひすい輝石とオンファス輝石からなる石」
という定義がより正確であるようです。

多くの宝石が単結晶を磨き出したものであるのに対し、
翡翠は微小な鉱物結晶の集合体を磨いたもの。
ちょっと変わったタイプの宝石なのです。



◆ 翡翠が稀少なわけ ◆

翡翠を作るひすい輝石という鉱物は、世界的にも稀少な鉱物です。
ひすい輝石は、低温高圧という特殊な条件の下で形成されます。 ひすい輝石(NaAlSi2O6)の成分は地殻に最も多く含まれる元素ばかりなのに、生まれるための条件が特殊であるため、産出地が限られ、量が少ないのです。


◆ 翡翠はダイヤモンドより「かたい」? ◆

有名なモース硬度で表される宝石の「硬さ」とは「傷つきにくさ」のことで、ダイヤモンドは最高の10、翡翠は6.5〜7です。 当然、ダイヤモンドを使えば翡翠の表面に傷がつきます。
しかし、もう一つの「堅さ」=「壊れにくさ」で見ると翡翠はダイヤモンドよりも「堅い」のです。
これは翡翠が微小な結晶の集合体であり、その結晶が複雑に絡み合ってとても緻密な構造をしているからです。ダイヤモンドをハンマーで叩くと粉々に割れてしまいますが、翡翠はハンマーを跳ね返すほど堅いと言われています。


◆ 翡翠の名前の由来 ◆

かわせみ 「翡翠」の二文字は、カワセミという鳥を表したものです。カワセミは水辺に住む、とても美しい鳥で、背は艶やかな青緑色、腹は果物のような橙色をしています。
このカワセミの羽の色のように美しかったので、中国でこの石を「翡翠玉」と呼ぶようになり、日本に伝わって「翡翠」となったと言われています。
縄文時代の日本では翡翠は「ぬ(奴)の玉」と呼ばれていたという説もありますが、はっきりとは分かっていません。



◆ 翡翠の色 ◆翡翠の色

翡翠には、白、灰色、黒、緑、紫、青、黄、橙、赤 の色のものがあります。

純粋なひすい輝石は無色透明です。そのため不純物のないひすい輝石の集合体は白色に見えます。

糸魚川市長者ヶ原遺跡から出土した翡翠の緑色は、オンファス輝石の色です。(一般に翡翠の緑色は、ひすい輝石に含まれる微量のクロムによるとされていましたが、糸魚川産翡翠からはクロムは検出されていないそうです。)

紫色の翡翠は一般にラベンダー翡翠と呼ばれ、大変人気があります。緑よりは少ないですが特に珍しい色ではありません。紫色はチタンによる発色だと考えられています。

翡翠の青色はきわめて稀なファンシーカラーです。糸魚川産翡翠の青色の原因は、サファイアと同じ鉄とチタンだと言われています。(青い翡翠はコバルト翡翠とも呼ばれていましたが、翡翠にコバルトが含まれているという誤解を招くため、最近はこの呼び名は使用されません。)

この他にピンクの翡翠もあると言われますが、糸魚川産の翡翠にはピンクのものはありません。ミャンマー産のピンク翡翠と呼ばれる石は、紫色の淡いものだそうです。



◆ 翡翠の特徴 ◆

糸魚川産翡翠原石2 翡翠の主な特徴は次の四つです。

・重い
・きらきらしている
・角ばっている
・白っぽい

糸魚川の翡翠は、川で削られて角が取れていきますが、
翡翠そのものは大変堅いので、翡翠の周りの他の岩石だけが削り取られて三角おにぎりのような形になったものが多いそうです。
海まで流れ着いた翡翠は沖合い深くに沈みます。同じように沈んでいる重い石は黒っぽいことが多く、翡翠はその中で白く輝いて見えるそうです。



◆ 翡翠はいつどのように生まれたか ◆

糸魚川の翡翠はおよそ5億年前にできたことが分かっています。5億年前とは古生代カンブリア紀後期。翡翠の周辺にある結晶片岩などよりもずっと先に翡翠は生まれていたのです。

これまでは翡翠は、曹長石がひすい輝石と石英に分離してできると考えられていました。しかし、最近の研究で翡翠の中にも周辺の岩石中にも石英が発見されない事から、この説が間違いである可能性が高くなってきています。

最近の翡翠研究の中から、糸魚川石、蓮華石、松原石などの新鉱物が続々と発見され、翡翠誕生の秘密は徐々に解明されつつあります。


◆ 硬玉と軟玉 ◆

「翡翠には硬玉と軟玉がある」と聞いたことのある方は多いのではないでしょうか。日本では古くから翡翠のことを硬玉と呼んでいたため、一般的には翡翠といえば硬玉を指します。(軟玉との違いを明確にするため「本翡翠」などとも呼ばれます。)
19世紀の終わり頃まで、硬玉と軟玉は同じ石だと考えられていましたが、中国の彫刻が分析され、違う石であることが分かりました。この時、新発見であった硬玉の方に「ジェダイト=翡翠」という新しい名前が与えられました。

 硬玉(ジェダイト)=翡翠 : ひすい輝石岩(ひすい輝石、オンファス輝石からなる)
 軟玉(ネフライト) : 透閃石岩、透緑閃石岩


◆ 宝石であるがゆえに ◆

翡翠の勾玉 宝石の条件は、美しいこと、稀少であること、かたいことの3つです。翡翠はまさにこの条件にぴたりとはまる美しい宝石です。

多くの人が「翡翠は緑色」という印象をお持ちだと思います。事実、市場でも宝石として最も価値が高いのは、濃い緑色で透明度が高い石です。
ですが上述の通り、純粋なひすい輝石は無色で、形成条件によって様々な色を示すのが翡翠の特徴です。

それでもやはり人は美しい緑色を好みます。そのため、樹脂含浸などによって着色処理が行われることもままあります。以前はルース(指輪の枠などに付ける前の研磨された裸石)の段階でそうした処理が行われていましたが、最近は原石の段階で着色したものを自然色と偽って流通させるような悪質な者も出てきています。

MoonMadnessでは、翡翠の自然の美しさを感じていただくため、カット・研磨以外の人工的処理(着色など)を施した石は一切扱いません。



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◆ 世界の翡翠産地と文化圏 ◆

翡翠の産地は世界的に見ても限られており、日本のほか、ミャンマー、ロシア、アメリカ、中米などが主な産地として知られています。
糸魚川は、ミャンマー、中米と共に、世界三大翡翠産地の一つに数えられています。

糸魚川の翡翠の量は、明確には分かっていません。1999年まで、発見された世界一大きな翡翠は糸魚川市青海の約100トンの石でした。(この石は現在、親不知海岸の翡翠ふるさと館に展示されています。)2000年にミャンマーで1万トンを超える大きさの翡翠が発見され、青海の石は世界一の座を譲ることになりました。

世界二大翡翠文化圏 産地の中でも、古代に翡翠文化が生まれた場所はさらに限られます。
日本の縄文時代に生まれた糸魚川の翡翠文化と、中米(メキシコ、グアテマラ)を中心としたオルメカ・マヤ・アステカの翡翠文化が、世界の二大翡翠文化圏として知られています。
オルメカ・マヤ・アステカ文化圏では紀元前1200年ごろから紀元前後にわたって文明が栄え、遺跡からは翡翠の仮面などが発見されています。中米の翡翠は、グアテマラやコスタリカで産出したものだったことが分かっています。

成熟した宝石文化を持つヨーロッパにひすい輝石がもたらされたのは16世紀末のことでした。スペイン人がメキシコのアステカから持ち帰ったものと言われています。
当時のアステカ皇帝モクテズマがスペイン人征服者コルテスにひすい輝石を贈ろうとした時、コルテスはそれがネフライトと同じ石と思い込み、受け取らなかったそうです。モクテズマは「ありがたい、彼らはこの石の価値を知らないのだ。」と語ったと伝えられています。


◆ 世界最古の宝石文化 ◆

今から約7000年前の縄文時代、現在の新潟県糸魚川市で翡翠による宝石文化が生まれました。
世界の歴史を調べても、これほど古い時代に宝石文化が起こった所は無く、まさに日本は地球上で最初に宝石文化が生まれた場所であると言えます。
翡翠の宝飾加工品といえば中国を思い浮かべる方も多いと思いますが、古くから加工されていたのは軟玉(ネフライト)でした。中国に硬玉が伝えられ、盛んに加工が行われるようになったのは18世紀以降のことです。

日本の翡翠文化は世界で最も早く誕生したにもかかわらず、残念なことにこの後受け継がれず、長い沈黙の時代を迎えることになります。


◆ 日本の翡翠文化のおこり ◆

長者ヶ原遺跡に代表される糸魚川地方の古代集落は、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代まで、玉や石斧の生産と交易の拠点として栄えました。
この地域に産出する蛇紋岩を高度な技術で加工した石斧は、日本各地で石斧のトップブランドとして扱われていました。この石斧を作る技術が、翡翠加工の技術へと発展していきます。
糸魚川地方の縄文時代の遺跡からは、石や木を巧みに加工した様々な道具が出土しています。それらからは石などの素材の特徴を見抜く鑑識眼と、適した加工法を生み出す技術の高さがうかがえます。
糸魚川地方はその時代、美しい石を産し高度な知識と技術を持つ人の住む、縄文人の憧れの土地だったのです。

糸魚川の翡翠は、北海道から沖縄まで日本各地で発見されていますが、それぞれの地域でもごく限られた者だけが手にすることのできる威信財、ステイタスシンボルだったと考えられています。
縄文中期には5cmほどの大きさの大珠(ペンダントのようなもの)などが製作されるようになり、日本各地との翡翠の交易が盛んになります。縄文後期には、翡翠原石とその加工技術が遠方まで伝えられ、各地で翡翠の玉などが製作されるようになりました。

弥生時代になると勾玉や管玉(円筒状の玉)の製作が盛んになってきます。
特に翡翠の勾玉は、各地の権力者の墓などから出土することから、富と権力の象徴であったと共に、呪術的・宗教的な意義を持つ聖器であったと思われます。翡翠の勾玉は朝鮮半島にも伝えられ、韓国の多くの遺跡からも出土しています。

約5千年間も続いた翡翠の文化は、古墳時代中期から後期にかけて衰退し、6世紀ごろには姿を消してしまいます。この頃の日本では大和政権が日本各地へ勢力を拡大し、石材とその加工技術を各地から集めた玉造(たまつくり)を現在の奈良県橿原市(曽我遺跡)に置いた時期です。翡翠が消えてまもなく仏教が伝来し、仏教による中央集権が行われました。
こうした時代の流れが、いつしか日本産の翡翠を歴史の舞台から完全に消し去ってしまったものと考えられています。

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◆ 翡翠の再発見 ◆

日本の翡翠が再び発見されたのは昭和13年(1938年)のことです。歴史の舞台から翡翠が姿を消して千年以上経っていました。
それまでは糸魚川の地元の住民でさえ、川や海にある美しい石が翡翠だとは知らず、遺跡から出土する翡翠は大陸から渡来したものと考えられていました。

昭和13年、相馬御風氏の発案で翡翠の探索を行った伊藤栄蔵氏が小滝川で翡翠を発見し、翌年、研究を行った東北大学の河野義礼博士らが論文を発表しました。
しかし当時の日本は戦争に向かって混乱した時代だったため、翡翠発見のニュースは全国はおろか、地元にさえ伝えられませんでした。翡翠の再発見が広く伝えられたのは戦後のことです。
上記のてん末は有力な説ですが、今でも翡翠の再発見にはいくつもの謎が残っています。


◆ 翡翠保護への苦難の道のり ◆

終戦後、翡翠産地の詳細な調査が行われ、1954年2月に小滝川の翡翠は天然記念物に指定されます。ところがその後すぐに大事件が発生します。天然記念物に指定されたばかりの翡翠をダイナマイトで爆破して持ち出そうとした者が現れたのです。これは明らかに悪質な盗掘です。幸いにも持ち去られる寸前に犯人は捕まり書類送検されました。
小滝川天然記念物エリア
その後、翡翠を採掘したいと申し出る者が現れ、糸魚川市では翡翠の保護か開発かで市を二分する騒動に揺れることになります。結局、県の決定で翡翠の一部の採掘が行われましたが、採掘された翡翠の質も行方も明らかにされず、騒動は後味の悪い形で終息します。

しかし、この騒動によって糸魚川の翡翠の価値は、ことに地元新潟県の人々に広く知られることとなり、その後は天然記念物指定エリアに限らず、全ての岩石の採掘が禁止されました。

ニュースでご存知の方も多いと思いますが、最近になってまた大規模な翡翠の盗掘事件がありました。

その石は天然記念物指定エリア外にありましたが、30トン近くある大きく立派な翡翠で、地元の人々にはよく知られた石でした。本来は自然の中にそのままの形であってこその翡翠なのですが、心無い盗掘者の手から守るために現在は糸魚川市のフォッサマグナミュージアムに運ばれ、保護されています。ミュージアムに行けば誰でもその石を見ることができます。

私たちも見てきましたが、その石には無残にも犯人による盗掘の跡が生々しく残っており、石の表面には抜けなくなったたがね(石を割る道具)が刺さったままになっています。
この石が自然な姿で清流のほとりにあったなら、どれだけ美しかったろうと思うと本当に胸が痛みます。


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◆ MoonMadnessで扱う翡翠 ◆

日本人は世界で最も翡翠を愛する民族だと言われます。それは誰もが、太古の昔に刻まれた翡翠の記憶を受け継いでいるからなのかもしれません。そうした意味で糸魚川の翡翠は、ことに日本人にとっては、単に宝石としてではなく、潜在意識に訴えてくる何かを持っているのだと、私たちは思います。

私たちは糸魚川の翡翠の歴史と今とを知り、日本の宝である国産翡翠保護の立場に立ちながら、この美しい石を皆様にご紹介していきたいと考えています。

通常、加工された宝石は産地を表示しないことがほとんどです。しかし糸魚川の翡翠は、その歴史的背景にも、日本で唯一の宝石質翡翠であるという希少性にも大きな価値があります。私たちはこの価値を重視し、糸魚川産の翡翠については産地を明示してご紹介します。
残念ながら現在はまだ、宝石鑑別による産地証明はできません。現在のところは当店の信用で産地を保証させて頂きたいと考えております。(翡翠に限らず、宝石・鉱物で産地証明が求められるものは数多くあります。今後、統計的な調査研究が進み、公的な鑑別機関で産地証明が行えるようになることを期待したいと思います。)

上述のとおり、現在の翡翠産地では天然記念物指定エリアに限らず、全ての山、川、海において翡翠を含む一切の岩石の採取は禁じられています。天然記念物指定以前から、この原則は守られるべきものとしてありました。
しかし、現実には趣味の範囲で鉱物探しを楽しむ人も多く、こうした行動は良識の範囲内で許されているものと思われます。何より自然を愛する鉱物愛好家と悪質な盗掘者の間には、その心根に天と地ほどの差があるのは誰の目にも明らかです。

MoonMandessでは、糸魚川在住の完全に信頼できる方から糸魚川産の翡翠を入手しております。その方は翡翠をこよなく愛し、長い経験と正確な鑑識眼で、とても良い石を提供して下さいます。悪質な盗掘や贋物に対しては断固として反対し、糸魚川の翡翠を保護するためにも活動されています。
私たちは、日本の宝である糸魚川産翡翠の素晴らしさ、大切さを広く知っていただくためにも、真摯な姿勢で正確な情報と共にご紹介していきたいと思っています。


◆ 二つの宝 糸魚川の翡翠、山梨の宝石加工技術 ◆

長い歴史のある山梨の宝石加工技術は、日本はもとより、世界でも最高の水準にある伝統工芸です。
山梨県で開業している当店としては、この素晴らしい宝石加工技術と、糸魚川産の上質の翡翠を引き合わせ、 甲府の一流の職人さんの手で加工した丸玉や勾玉もご紹介していきます。

糸魚川の翡翠、山梨の宝石加工技術は、どちらも日本が世界に誇る貴重な財産です。稀少で美しい自然の恵みと、先人から脈々と受け継がれてきた伝統の技を、この先ずっと守り続けていくためにも、この素晴らしさを知っていただけたらと考えています。


※翡翠については、まだまだ分かっていないことも多く、現在信じられている説もこれからの研究で訂正される可能性もあります。当店では、随時新しい情報をご紹介してまいります。



  ◇ 翡翠にまつわる伝説 ◇  


はるか太古の昔、現在の新潟県地方に「越(こし)」という古代国家があり、不思議な緑色の石を持つ奴奈川姫(ぬながわひめ)という美しい姫がその国を治めていました。
当時から「越」はさまざまな美しい石(玉)を産し、各地との交易で栄えた豊かな国でした。
ある時、出雲の国の大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとに、この国の美しい石が伝えられます。その石の美しさに惹かれ、奴奈川姫の噂を聞いた大国主命は、彼の地に出向き、姫を妻にしたと伝えられています。

「越」という名は、中央アジアの古代語で「玉(ぎょく)」という意味の「かし」が転じたものと言われています。「越」はその名の通り、玉(ぎょく)の産出と加工を主な産業として発展した国家だったと考えられます。

また、万葉集巻十三には次のような長歌があります。

  沼名河の 底なる玉
  求めて 得まし玉かも
  拾いて 得まし玉かも
  あたらしき 君が
  老ゆらく惜しも

こうした文献から、沼名河は糸魚川市の姫川、底なる玉は翡翠であり、奴奈川姫が持っていた石はその地で取れた翡翠であるという解釈が生まれ、日本の翡翠の再発見につながったとも言われています。






(参考文献)
 「とっておきのひすいの話」宮島宏(フォッサマグナミュージアム)
 「よくわかるフォッサマグナとひすい」フォッサマグナミュージアム学芸係
  フォッサマグナミュージアム パンフレット
  国指定天然記念物ヒスイ峡 パンフレット
  長者ヶ原遺跡・長者ヶ原考古館 パンフレット
  長者ヶ原考古館 館内説明資料
 「岩石と宝石の大図鑑」ロナルド・ルイス・ボネウィッツ著 青木正博訳
 「楽しい鉱物図鑑」堀秀道
 「鉱物の不思議がわかる本」松原聰
 「新鉱物発見物語」松原聰
 「翡翠展」国立科学博物館地学研究部
 「宝石宝飾大辞典」近山晶
 「宝石1」諏訪恭一
 「勾玉」水野祐


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